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市場経済とセーフティネット

このような経済的混乱はどうして起こったのだろうか。その原因としてよくいわれているのが「市場原理主義」「行き過ぎた市場経済主義」である。市場原理主義とは、政府の経済的介入を極力小さくし、すべてを市場に委ね、民間活力を活性化させることが公正さと繁栄をもたらすとするものであり、また市場経済主義とは、市場機構を通じて需給調節と価格調節が行われる市場経済を中心に経済活動を行うことを是とする考え方といえるだろう。市場原理主義や市場経済主義が進展するに従って、より大きな効果を求める過程に入り込み「市場万能主義」「行き過ぎた市場経済主義」へと変化してしまったことが、日本経済のみならず世界経済を混乱へと招いてしまった原因と考えられている。

わが国ではバブル崩壊以降「失われた10年」といわれる間、まず1996年に日本版ビッグバンがとり行われることとなった。具体的には、①金融市場をそれまでの規制によるリスク管理から市場におけるリスク管理へと変えることになり、③規制によってリスク顕在化を抑える政策から、リスクは市場参加者が負担するという市場経済主義を中心とした政策へその原則を変更し、③それらに伴った金融自由化というコンセプトのもと、金融システムの変更が急速に進められていくこととなった。また、小泉政権の誕生とともに、「規制緩和」というスローガンのもと、あらゆる分野で自由化が進められていった。

これらはバブル崩壊による不況からの脱却を旗印に、「市場経済主義」に基づく自由競争の名のもと、国際競争力の向上を図るためのシステムづくりを促すことによって進展していく。この結果、中国・アメリカ経済の成長という後押しも受けて、日本経済は戦後最長の経済成長を果たすことにはなるのである。前記のように、市場経済主義では競争原理のもと、市場参加者はリスクをとりつつより高いリターンを迫求できる一方、価格競争を通じてコストの低下をも追求し、より効率的な生産体制が確立されていくことになる。 

家計経済をめぐる環境の変化

それでは、家計部門における経済活動をめぐる環境はどのように変わったのであろうか。今回の世界同時不況は、日本経済においては2001年1月の谷から2007年10月の山までの69ヵ月という戦後で最も長い景気拡張期の後、緩やかに後退している最中に起こった。ゆえにその衝撃は大きぐ、景気動向指数のうちの一致指数は2008年後半に大きく減少し、景気後退の勢いのすさまじさを示している。こうしたなか、2008年末には年越し派遣村が話題となったように派遣切りが問題となった。

さらに2009年に入ってからは、失業率が上昇し、7月には過去最高の5.7%を記録する一方、有効求人倍率も6月には過去最低の0.43倍を示すなど、雇用問題がクローズアップされるようになり、同年9月の月例経済報告において失業率が過去最高水準になったことが言及される異例の事態となっている。賃金指数もリーマンショックが生じた2008年9月を境として急激に減少することとなり、特に製造業の減少幅が大きいことがみてとれる。さらに、勤労者世帯における実収入も、2009年に入ってからは第1四半期が△3.9%、第2四半期が△3.8%と大きく落ち込んでいるだけでなく、可処分所得も消費支出もマイナスとなっており、家計部門の経済環境は確実に悪化していることがわかる。

そのため貯蓄も徐々に減少する傾向にあり、総務庁統計局によると、2008年の平均貯蓄現在高は1,680万円で2006年より3年連続の減少を記録する一方、勤労者世帯における負債保有世帯の割合は52.4%と2007年に比べ1.1ポイント増加し、負債年収比率も90%を超える水準となっている。負債の種類別負債現在高においては、「住宅・土地のための負債」「住宅・土地以外の負債」ともに減少しているものの、「月賦・年賦」が大幅に増加するなど、大きな借金は避けながらもこまごまとした日常の支払が債務化している可能性を示唆している。

リーマンショック以降の世界経済

2007年夏にはアメリカの大手証券会社ベアー・スターンズ傘下のファンドがサブプライムローン関連の運用に失敗、続いて前述のとおり欧州で金融危機が発生し、格付機関の信用度の問題へと波及していく。それでもサブプライムローン問題は「問題ではあるが対応不可能なわけではない」との雰囲気のなかで先送りされ、翌年7月の洞爺湖サミットでもさして問題にはされなかった。しかしこの問題は徐々に重みを増しており、当初の対応の甘さがツケとなって現れたのが2008年9月だといえよう。こうして突然降ってわいたようなリーマンショックは、単にアメリカ一国の問題として対応できないほどにまでふくれ上がっていたサブプライムローン問題を顕在化させることとなった。

この危機にあたり、各国金融当局は巨額の資金供給を行い、政策金利を大幅に引き下げた。そのスピードは急激で、アメリカではリーマンショックからわずか3ヵ月後に金利が史上最低水準に引き下げられ、欧州等でも翌年5月までには金利が史上最低水準に引き下げられている。この政策は「金融市場の崩壊阻止」が目的であり、なんとか金融市場の機能不全を阻止しているものの、金融危機はここでとどまることなく次に世界経済崩壊へとコマを進めていく。株価は世界中で大暴落したが、特に成長著しいBRICs諸国の株価指数を2007年末と2008年11月末の終値で比較すると、ブラジルで4割、ロシアで7割以上、インドで5割以上、中国で6割以上も下落し、リーマンショックは新興国に破壊的な打撃を与えていることがうかがわれる。

影響を受けた産業は金融に限らず、自動車など他産業へも悪影響を及ぼしている。トヨタ自動車は2007年の過去最高収益2兆円から翌年には赤字に転落、トヨタショックとして世界中にショッキングな情報が流れた。そればかりか、アメリカのビッグ3(GM、クライスラー、フォード)の経営破綻が現実的なものとなり、救済をめぐりアメリカ政府も右往左往させられたのである。世界金融危機は世界同時不況へと急速に悪影響を及ぼしているが、それは単にグローバル企業のみにとどまる話ではない。わが国の中小企業の多くは大手企業からの注文が激減し、資金繰りに窮している。

また、バブル崩壊不況からの脱却を労働コストの面から支えた派遣労働者や期間労働者のリストラが進行し、雇用問題としてクローズアップされている。特に雇用の問題は景気より遅れて回復する傾向にあるだけに、その深刻さはとどまることなく世界中に波及し続けている。世界金融危機は経済活動の隅々にまで悪影響を与え、経済活動を支える中小企業や労働者の活力さえ奪っている。このような状況下、各国政府は財政政策による景気刺激策を行っている。アメリカではグリーン・ニューディール政策と称する環境対策を中心に、中国では4兆元(約56兆円)にものぼる景気刺激策が行われている。

その結果、徐々にではあるが景気の底打ち感も出始めている。暴落したBRICsの株価は2009年2月頃より急速に回復している。商品価格のほか、原油価格も1バレル39ドル台(ニューヨークマーカンタイル取引所、スポット価格、月平均)まで下げた後、6月には70ドル台に迫る水準に回復した。レアメタル市場も上昇を続けており、新たなバブルを形成するのではないかと警戒されている。このように、世界経済はバブル形成とバブル崩壊を繰り返すという激しい変動の時代に入ったともいわれており、こうした環境のなかで安定的な経済 活動を行うことは困難極まりない時代へと突入したともいえよう。

今日の時代環境とセーフティネット

2008年9月以降、世界経済は大混乱期へと移行することとなった。その発端は、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズが負債総額6,130億ドルにものぼる巨額の負債を抱えて破綻した、いわゆるリーマンショックである。その後、メリルリンチがバンク・オブ・アメリカに救済合併され、アメリカ最大の保険会社AIGが国有化されるなど同国内での金融危機に拡大。盤石と思われていたアメリカの金融機関が次々と経営危機に直面し、あっという間に世界的な信用収縮が起こったのである。だが、サブプライムローンに関係した金融機関の経営危機は2008年9月に突然生じたわけではない。

いわゆるサブプライムローン問題は、2007年8月に発生したフランスのBNPパリバ傘下のファンドの資産凍結、その後のイギリスをはじめとした欧州での金融機関の経営破綻で表面化し、そのスタートは2007年3月にまでさかのぼることができる。当時は上海市場の株価が暴落し、世界的に株価暴落が話題となっていた。その原因は、アメリカでの住宅価格下落に伴いサブプライムローンを提供していた同国の住宅金融会社ニュー・センチュリー・ファイナンシャルが経営破綻に陥り、アメリカ経済の先行き不安から、対米輸出に依存していた中国経済の将来性に不安が高まったことにあるどされている。

ただし、当時は「アメリカの一金融会社の問題」としかとらえられず、ニュー・センチュリー・ファイナンシャルは同年4月に連邦破産法第11章の適用を申請、その後株価は急速に回復し、何事もなかったかのごとく世界的な経済拡大が続いた。サブプライムローン問題の端緒については、さらに2006年秋とする説もある。この時期はそれまで順調に上昇を続けていたアメリカの地価が伸び悩み、下落に転じた時とされる。つまり、サブプライムローン問題はアメリカの地価下落とともに発生したと考えるものである。いずれにせよサブプライムローン問題は、われわれの認識よりもずっと以前からくすぶっていたのである。

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